tomoko47's blog

こんな あらふぃふ の日常

月曜日は対照的

7月から9月までの間の連続ドラマ番組は

観たいものが少ないと思っていました。

でも、自宅療養中で時間があることもあり

今のところ、月曜は

「ペテロの葬列」と「HERO」を観ています。

内容が対照的で、かつ放映時間が連続しているので

観てしまうのかもしれません。

 

「ペテロの葬列」は人の何気ない言動や行動の中にある

小さな悪意が、簡単に増幅され、拡散していく危うさを

ストーリーの中でじわじわと見せていきます。

「騙された人は騙すようになる。罪悪感が小さいから」

ドキッとしました。

騙した人(世の中)への報復という感情もあるのかもしれません。

無意識に小さな攻撃をして

不満を晴らそうとしていないか。

私はかなり歪んだものを持っていると

自分で思っています。

大それたことはできなくても

きっと、人に嫌な思いを無意識にさせているでしょう。

中学生のころ、ある日突然、仲が良かった

(と私は思っていた)クラスメート数人から

一斉に無視されるようになったことがありました。

それでなくても、

友達だと思っていた人がすうーっと離れていく

といったことは子供の頃から何度もあって

私はだんだんと、最初から距離をおいて

接するようになっていきました。

それらの大本の原因は、

私の無意識の言動や行動にあるのではないかと

ある程度大人になって気づきました。

幼稚園時代、まったく何もした覚えが無いのに

やさしくて大好きだった幼稚園の先生に

突然叱られたことを思い出しました。

先生が何を言っているのかまったくわからないまま

呆然としていました。

誰かが何かを先生に言ったのだと

私はそう感じて、信じてもらえないことが

悔しくて、なさけなくて、

そこから、不信感が生まれたのではないかと

今は分析しています。

そのとき、私は本当に何もしなかったのか

叱られる理由になるようなことを

一言も発していなかったのか、

そのときはどうしてもわからなかったけれど

何か、他人にとってはひどいことを

無意識にやっていたのかもしれません。

自信がないのです。

 

以前にも書いたかもしれませんが

「何か不都合なことが起こったら

それはすべて自分のせいだと思いなさい」

と言い聞かされて育ちました。

その言葉がストッパーになって

本当の原因を考察することを止めてしまう癖が

ついたのかもしれません。

そんなことをいろいろと思い出して・・・

たぶん、自分はこの言葉に該当する人間です。

騙された人は騙すようになる。罪悪感が小さいから」

外へ出るときは、これまで以上に気をつけます。

 

そういえば、一昨年の暮れに母方の祖母が亡くなった際、

葬儀が終わって私も帰京したのですが

帰りの新幹線を降りてきたあたりで

父から携帯へ電話が入りました。

何事かと思ったら

親戚の中の一人のコートが無くなって大騒ぎになり

その後、母の実家から駅まで私も乗せてもらった

遠い親戚の人の車で見つかったそうです。

そして、コートを隠した犯人が私だということになったらしく

父はとても憤慨していて

その説を主張した親戚とは、冠婚葬祭以外は

関わるなと私に言いました。

最初は冗談かと思いましたが

電話の雰囲気から本当らしいとわかって

背筋が凍りました。

昔からこんな感じのことはたまにありました。

あの幼稚園時代からずっと。

疑いをもたれるような行動をしたのは

私なので仕方ないのです。

別の方法で駅まで行くとかしていれば

そんなことにはならなかったのだから

やはり、私自身のせいと思うしか無いのです。

 

そんなことまで思い出してしまった

「ペテロの葬列」を観た後、

じきに「HERO」が始まりました。

検事が扱う事件自体はちゃんとしたものですが

台詞を聞いて、画面も隅までよく見ていると

クスッと笑えることがいろいろあるのです。

こんな人たちはいないでしょうと思うのですが

今日は何度も笑ってしまいました。

おかげで、1時間前の状態からは少し立ち直りました。

 

というわけで、9月末までの間、月曜は

ドラマを2本観ていることになると思います。